思い出の創価学会
元学会員が語る創価の思い出
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選挙戦での思い出
きょうは東京都議選の投票日。
といっても、東京都民じゃない自分には関係ないけど。
しかし一般人なら東京都民以外は関係なくても、
創価学会の活動家にとってはどんな地方に住んでても
創価の信心活動として関係あることなんだな。
自分が住んでるところからも東京まで手弁当で
公明票を頼みに行った活動家が何人かいるんだろうな。
自分も学会員だった頃は、東京に友人や知り合いがいるならFを頼みに行ってこいと幹部から言われたことがあるが、
東京には友人も知り合いもいないから断わったけど、
実際に友人や知り合いがいても「いない」と言って断わっただろう。
それほど自分は選挙戦は嫌だった。
今でも覚えてるんだが、自分が学会員だった頃、
市議選での公明党支援活動では、
自分たち青年部員は銀輪隊というのに駆り出されたことがあるけど、
あれは恥ずかしかったな。
10人くらいで1つのグループを作って、
公明党のノボリを立てた自転車に乗って選挙区内を走り回るという活動だったんだが、
学会活動や公明支援活動を好きでやってたわけじゃない自分は本当に恥ずかしかった。
それに、途中、共産党の運動員たちに遭遇した時は共産党員たちからヤジられたりして
嫌な気分にもさせられたし、本当に嫌だった。
創価から抜けてもう何年かなるけど、今も嫌な思い出が思い出されてくるし、
創価にはいい思い出は1つもない。
2017/07/02(日)
21:43
活動
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職場での思い出
前に折伏戦のことを書いたけど、
それに関連することを書いときます。
自分には友人が少ないので、折伏する相手を探すにはあとは職場しかなかったんだ。
それで、職場で同僚を何人か折伏したんだが、
もちろん誰1人創価学会に入るわけもなく、
それどころか、同僚の1人が上司に「しつこくカルトに入れさせようとしてる奴がいる」と告げ口したようで、
上司から「会社で宗教の勧誘はするな」と言われてしまったんだ。
それからは職場で迫害されるようになり、あの頃は肩身の狭い思いをさせられたものだった。
創価なんかに関わらされるといい思い出は何もないな。
2016/11/20(日)
16:29
活動
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家庭訪問での思い出
長い間忘れていたけど、今思い出したことがあるので書いときます。
自分が中学生の頃の家庭訪問の時、
母がうちに訪問してきた担任を折伏したんだ。
自分の母親は今はそうでもないが、
その頃は熱心な学会員で、誰彼構わず折伏していたんだ。
そういう母だから、家庭訪問の前から担任を折伏すると意気込んでいたんだ。
折伏された担任はびっくりしたようだが、
もちろん折伏されたからといって創価なんかに入るわけない。
担任は適当に話だけ聞いて帰って行ったんだが、
それがあってその後自分の一家が学会員であることがクラスに知れ渡ってしまったんだ。
その担任がクラスの生徒たちに喋ったんだろうな。
自分はそれまで自分が学会員だということは隠してたんだが、
母親が担任を折伏したためバレてしまい、
クラスで何か変な目で見られるようになってしまったんだ。
やはり創価学会は世間では批判されているから、
そういうのがクラスの生徒たちにも知られていたから、
まともな宗教団体ではないと思われていたからなんだ。
いじめとかはなかったけど、
変な目で見られるというのが自分は嫌だったな。
入りたくもない宗教に入らされると、
そういう嫌な目に遭うものだ。
2016/11/08(火)
21:42
創価的環境
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創価学会で大損した思い出
創価の組織にいた頃は、とにかく金に関して悩まされたな。
1つは財務をはじめとする創価の金集めだ。
財務以外でもいろいろなものを買わされたものだ。
機関紙・誌では聖教新聞と大白蓮華をセットで取らされるのは当たり前だが、その上、聖教新聞を2部取らされたり、他にも創価新報や公明新聞、それにグラフSGIも取らされたりしたものだ。
あと、本では、創価から新刊本が出版されたら別に読みたくもないのに買わされたし、人間革命や新人間革命は単行本を買わされてるのに、文庫本が出たら単行本と同じ内容なのにそれも買わされたものだ。
とにかく金をとられることばかりだったな。
しかもそれだけじゃなく、創価の組織にいると、幹部活動家からも金をせびられることが多かったな。
特に地区幹部には金に困ってるのが多くて、そういう連中が借金を申し込んできたものだ。
何しろ前回の記事にも書いたように、活動家はいろんな名目で創価に金を取られてしまうから、熱心な活動家ほど金がなくて困っていたんだ。
自分も金には困っていたが、それでも頼まれると断れない性格だからついつい貸してしまっていたものだ。
そして貸した金は返してもらってない。全部踏み倒されてしまったんだ。
とにかく、創価学会というところは金を取られるところだった。
そんな創価には大損した思い出しかない。
2015/12/07(月)
08:00
暴露
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財務の思い出
この時期、創価の組織ではいつもの財務の季節だが、この財務も現役学会員の頃は嫌で仕方なかったな。
何しろ自分は派遣社員で薄給の身だったから生活費を払うので精一杯で、創価に金を出す余裕などなかったからな。
そういう身なのに、幹部からは「もっと福運を積めるように精一杯の額を納付しろ」とか「先生と創価学会に恩返しできる最大のチャンスだから、できる限りの額を納めろ」などと言われるのが辛かったし、
座談会などでも壮年部や婦人部が「家にお金がなくて、もう財務ができないと諦めかけていたら、ふと生命保険に入っていたのを思い出し、急いで保険を解約して財務の納付に間に合わせました。これで福運を積むことができました」などという体験談を語っているのも何だかプレッシャーをかけられているようで嫌だったな。
そして幹部がしつこく財務の振込みを確認しに来るのもウザくて仕方なかった。
今思えば、ただのカネ集めでしかなかったんだが、ほんとに創価にはいい思い出が何もなかったな。
2015/12/06(日)
20:57
活動
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思い出の選挙戦
自分は折伏戦に次いで選挙戦も嫌だったな。
選挙戦をしていたはじめの頃はバカ正直にエフの数を報告していたから、幹部から「数が少なすぎる」とこれまたガンガン責められ罵られたものだ。
なにしろ自分は友人や知人も少ないのでそんなにエフの数を増やせるわけもない。
それで、近所の商店街に行って品物を買っては公明党への投票を頼んだりしてエフの数を増やしていたものだった。
その時の店の人の態度は「何だこいつは」というような顔で見る人や、いかにも口先だけという感じで「ハイハイ」と笑いながら言う人もいたな。
その時は何か屈辱的な気持ちがしたものだった。
しかしそんな自分もしばらく選挙戦をしていくうちにバカ正直にエフの数を報告するのが馬鹿らしくなり、もうエフを頼むことはやめて適当に「100」とか「200」とかエフの報告をするようになっていったんだ。
近頃ではそういうのを「エア活動」というらしいが、創価学会でまじめに活動していてもバカを見るというのがだんだんわかっていったから、数をごまかしてもわからないようなことは適当に数の報告をするようになったんだ。
実際にエフを頼んでも相手がほんとうに公明党に投票するかどうかもわからないわけだし。
まだ学会活動始めた頃は、ウソの報告をすると幹部にはすぐ見破られてしまうんじゃないかと思っていたものだが、創価の幹部にそんな人間はいないということがわかってきたから、適当に報告できることはウソの報告をするようになったんだ。
今から思えば創価の活動はまじめにやるような価値はないな。
2015/11/21(土)
20:26
活動
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